○千栗土居公園(蓮公園)
   千栗土居公園概要

千栗土居公園は、県道整備工事に伴い、姿を消してしまう千栗土居を後世に伝えるため、平成12年佐賀県文化財の認定を受け、千栗土居の一部を町が公園化したものです。 千栗土居は、かつて水害を防ぐための堤防で現在のみやき町千栗地区〜坂口地区まで12㎞ほどあったといわれています。佐賀平野でおける土木・治水事業の偉人 成富兵庫茂安公の行った事業の一つで、築堤以来約300年もの間、破堤等も起こらずに地元住民を守り続けました。 筑後川の堤防整備により役目を終えましたが、200mほど本来の姿のまま公園内で保存されています。 3000坪の敷地内には約9,700㎡の蓮池があり、三種類のはすが毎年七月下旬から八月中旬まで咲き誇ります。早朝ゆっくりと開花する姿は、盛夏の暑さを忘れる一服の清涼感として、町内外の人たちから愛されています。

千栗土居公園

二千年ハス
(大賀ハス)

一九五一年、千葉市花見川区の東大厚生農場でおよそ二千年前の地層から発見され 発見者の大賀一郎博士に因んで「オオガハス」と命名されました。 合計三粒発掘されたその種は二粒は失敗に終わりますが、最後の一粒が大賀博士の手で二千年の時を越え開花することとなります。 花弁数は十四~二十枚の一重咲きで、花色は鮮やかなピンク色が特徴です。みやき町の二千年はすは、多久市の聖光寺から種を譲り受けました。成育に大変苦労し、試行錯誤の末五年目にやっと開花しました。 想像もつかない時間を越えた神秘的なこの蓮は、今では多くの人たちの目を楽しませています。

二千年ハス

舞妃蓮(まいひれん)

舞妃蓮は、「二千年蓮」と「王子蓮」の交配種です。 昭和35年(1960年)秋、訪米されていた皇太子御夫婦がアメリカ黄蓮の種を譲り受けた経緯から「王子蓮(おうじばす)」と命名された蓮は、その後「二千年蓮」との交配がなされました。 昭和41年(1966年)、薄黄色で弁の縁は淡い紅色で二千年蓮の淡紅色と王子蓮の黄色の両方の花色が見事に調和した花が開花しました。花弁数22~25枚、花径30~32cmと大きな花容です。 優美で艶やかなこの蓮は皇太子御夫婦に見ていただくため献上されました。 みやき町では開花するまで実に六年の歳月がかかりました。 二千年蓮の神秘と王子蓮の気品を受け継いだ、可憐で誇り高き蓮です。こちらも多久市の聖光寺から種を譲り受けました。

舞妃蓮

市村清幼少期の蓮根エピソード

佐賀県はレンコンの生産量が全国3位(平成28年度)です。 佐賀県みやき町出身でリコー三愛グループ創業の父、市村清氏は千栗土居公園の側で生まれ育ち、幼い頃からレンコンを掘る手伝いをしていたそうです。 蓮の花言葉は「清らかな心」「神聖」「離れゆく愛」 仏教では、泥水の中から美しい花を咲かせる蓮の姿が、仏の智慧や慈悲の象徴とされています。 様々な苦境を耐え抜き、リコーグループを築き上げた粘り強さと堅実さを持つ市村氏の原点は、この地で寒さに震えながら心と身体を鍛えたレンコン掘りの経験なのかもしれませんね。

市村清幼少期の
蓮根エピソード

佐賀県はレンコンの生産量が全国3位(平成28年度)です。 佐賀県みやき町出身でリコー三愛グループ創業の父、市村清氏は千栗土居公園の側で生まれ育ち、幼い頃からレンコンを掘る手伝いをしていたそうです。 蓮の花言葉は「清らかな心」「神聖」「離れゆく愛」 仏教では、泥水の中から美しい花を咲かせる蓮の姿が、仏の智慧や慈悲の象徴とされています。 様々な苦境を耐え抜き、リコーグループを築き上げた粘り強さと堅実さを持つ市村氏の原点は、この地で寒さに震えながら心と身体を鍛えたレンコン掘りの経験なのかもしれませんね。