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市村清 "素敵な物語"
のはじまり

市村清 "素敵な物語"のはじまり

市村清 人を愛し

愛から始める、企業づくり〜市村清の経営ストーリー〜
市村清〜不屈の精神と深い愛を持つ人間性〜
希望はいつも、苦境の淵から溢れ出す〜市村清の生涯〜

千栗土居公園(蓮公園)


千栗土居公園は、千栗堤(ちりくてい)の一部を 町が公園化したものです。 千栗堤は1643年に造られた水害を防ぐための堤防で、 現在のみやき町千栗地区から12㎞もあった上、 極めて巧妙な構造となっていました。 3000坪の敷地内には三種類の蓮が 毎年7月下旬〜8月中旬まで色鮮やかに咲き誇り、 盛夏の暑さを忘れる一景として 町内外から広く愛されています。

市村清の歴史


リコー三愛グループ創業の父。 市村清は、佐賀県のみやき町市原地区で生を受けました。 貧困で中学校を中退し、わずか14歳で家計を支えながら 数々の苦境を越えてきた市村清。 「人を愛し 国を愛し 勤めを愛す」という 『三愛精神』を掲げて、戦後の日本復興に貢献した 経営者の理念の始まりは、貧困による苦境と そこから立ち上がる不屈の精神でした。

市村清ストーリー


千栗土居公園には合計7つの看板が設置されています。 それぞれ、市村清氏にまつわるエピソードと 名言・格言を紹介しています。お金・人間関係・仕事への 姿勢など、現代を生きる私たちの生活の中にも 充分役立つものですので、ぜひ公園まで出向いて ゆっくり目を通してみて下さい。 あなたの心を惹きつけるお気に入りの言葉を、 見つけて持ち帰ってみてはいかがでしょうか?

市村清

●佐賀県出身の偉人 市村清氏

リコー三愛グループ創業者の市村清氏は、佐賀県出身の実業家です。現在のみやき町にて生まれ、19歳で上京するまで佐賀で過ごしました。 常識を裏をかくアイデア社長として、昭和初期から中期にかけて戦後の日本経済復興に尽くした経営者の一人です。

市村清

●佐賀県出身の偉人
 市村清氏

リコー三愛グループ創業者の市村清氏は、佐賀県出身の実業家です。現在のみやき町にて生まれ、19歳で上京するまで佐賀で過ごしました。 常識を裏をかくアイデア社長として、昭和初期から中期にかけて戦後の日本経済復興に尽くした経営者の一人です。

市村記念体育館

●市村記念体育館

1963年、市村清氏により寄贈された体育館です。青少年のスポーツ振興を願って市村氏の私財を投じて建設されました。当時では冷房付き体育館ということで、1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と言われたバレーボール女子日本代表の練習場として利用されたということです。歴史の重みを感じる体育館です。ぜひ一度足を運んでみてください。

市村清氏の有名な格言

●市村清氏の有名な格言

「人が海面に行くなら自分は海底に行け。潜るのは何倍も辛いが、誰も行かない困難なところに道はある」会社経営はいつも順調だった訳ではありません。1965年リコーは無配に転落しました。市村氏は世間から強いバッシングを受けながらも決して諦めず、たった2年で再建を果たし、大きな称賛を浴びることとなりました。光も闇も知り尽くしたからこその言葉です。

●市村記念公園(生家跡)

佐賀県三養基郡みやき町(旧北茂安村)、ここが市村清の生誕地になります。(明治維新までは旧鍋島藩の領地) 市村自身、佐賀の士族の資質を受け継ぎ、それが人生の大きな力となったとのちに伝えています。 2001年、市村清生誕100年を記念し生家のあった場所を市村記念公園として町に寄贈。 市村の胸像も建てられ現在は地元の方々が管理されています。

●みやき庁舎に特設コーナー

みやき庁舎館内に、市村清氏の銅像と功績を紹介する特設コーナーを設けています。市村氏は多くの著書も出版しており経営のノウハウならずその不屈の精神とどんな逆境にも立ち向かう生き様は、いまだ多くの人の心を揺さぶるバイブルとなっています。みやき町出身の偉大なる偉業を成し遂げた市村清氏に触れ合ってみませんか?